こんにちは、ノアヲです。
世界各国の街を色の観点からご紹介&考察するコラム【世界の色】、Vol.4はエチオピアの首都アディス・アベバです。アフリカ大陸有数の世界都市、発展目覚ましい街並みと色彩をご紹介します!
アディス・アベバってどんなところ?
アディス・アベバ(Addis Ababa)はエチオピアの首都で、現地の言葉アムハラ語で"新しい花"を意味します。アフリカ連合(AU)やアフリカ経済委員会の本部もあるため「アフリカの政治的首都」とも呼ばれています。

急速に発展が進む大都市である一方、表通りから一本入った路地はまだまだ未整備の砂利道が続き、地元の人々の素朴な暮らしが共存しています。
標高2400メートルの高原都市

そもそもエチオピアはアフリカ北東部に位置します。ちょっとアフリカ大陸を想像してみてください。東側にある尖った地域が「アフリカの角」と呼ばれる場所で、エチオピアの西はスーダン、東はソマリア、北はエリトリア、南はケニアに面した内陸国です。国土は日本の3倍ほどで、人口は日本と同じくらいの約1億2000万人。単一民族ではなく80近くの民族が共生し、地域ごとに独自の言語や風習を持ちます。

エチオピアは国全体の標高が高く、アディス・アベバは約2,400メートルの高原都市です。標高2,400mは、およそ富士山の五合目とおなじくらい。
これは完全に個人的な体感ですが、やはり高地とあってなんとなく空気が薄い気が(本当になんとなく)。昼夜の寒暖差が大きく、ほこりっぽくて乾燥気味なことも関係ありそうですが、坂の移動と階段の上り下りがちょっとしんどい。エチオピアは陸上競技の長距離走で成績を残すアスリートが多く、「普段の環境がすでに高山トレーニングになっているのか」と、妙に納得できた感があります(笑)
街には新旧の歴史が混在
1880年〜第一次世界大戦前の1912年ごろにかけて、ヨーロッパの列強がアフリカ全土を分割支配する動きがありました。エチオピアはそのときに唯一植民地化されなかった国です。
1936年にはイタリアの侵攻を受けて実質的には占領されたものの、「アフリカでただ一国だけ植民地化がなかった」という事実は国の誇りとして語られています。
アディス・アベバはちょうどアフリカ分割が行われている1890年代に、当時の皇帝メネリク2世によって建都されました。
エチオピアは「人類発祥の地」とされ、約300万年前に生きていたとされる猿人の化石が出土した場所でもあります。"ルーシー"と名付けられた人骨化石が博物館に展示してあり、地方に行けば、太古からの人類の足跡を感じさせる自然環境や痕跡も残されています。

また、4世紀ごろにキリスト教が伝来し、エチオピア正教として独自に発展。今日でも国民の半数近くがキリスト教徒で、エチオピア正教徒、プロテスタント、さらに現代はムスリムも多く混在しています。

太古からの人類の足跡、年月を経ても変わらず鎮座する宗教建築の数々。そして、中国資本の援助もあって急ピッチで進む発展、整備された道路、近代的なビル群。
アディス・アベバは、長い歴史のなかで積み重なった多層的な表情を持つ街です。
コーヒー文化と音楽に浸れる街
人類発祥だけでなく、エチオピアは「コーヒー発祥の地」としても知られています。
伝統的な抽出方法によるコーヒーで家族や友人と絆を深める儀式「コーヒーセレモニー」が、生活の一部に溶け込んでいます。

現地で出会った人曰く、ほんの10数年前まではどの家庭でも毎日おこなわれていたようです。しかし、アディス・アベバの近代化が進んで、週末や、お客様の来訪時など限られたタイミングだけに減ってきたそう。
ですが、ホテルのレストランでも、どんな小さなカフェでも、あるいは路上でも、現地のコーヒー文化を体験することができます。ゆったりとした時間の流れのなかで、一杯のコーヒーを飲み交わして交友関係を築く。それもアディス・アベバならではの光景です。

また、現地の言葉で「アズマリベット」と呼ばれる酒場では、弦が一本のギターのような伝統的な弦楽器「マシンコ」を用いた音楽と民族ダンスを鑑賞しながら、地元の人々と交流を楽しめます。

余談ですが、音楽や文化がお好きなら、現地(世界的にも)の超一流アーティスト、メラク・ベライ(Melaku Belay)がオーナーを務めるフェンディカ・カルチャーセンター(Fendika)で、2週に一度、金曜の晩に上演されるエチオカラー(Ethiocolor)の上演は必見です。
場所はハイアット・リージェンシーの地下。入場料は日本円で200円ほど。洗練されたエチオピアジャズ(エチオジャズ)と、ゲストのベテラン歌手の熱唱、キレッキレのダンス、最後に伝統音楽まで体験できる、極上の空間でした。
アディス・アベバの色彩
さて、ここからはそんなエチオピア/アディス・アベバの街を色彩の観点からご覧ください。
エチオピアの色は白と発展のグラデーション?

エチオピアの国旗は緑・黄・赤の3色の横縞で、中央には青い丸のなかに金色(黄色)の五芒星が描いてあります。それぞれの色の意味は、緑が発展・豊穣・豊かさを、黄色が希望・平和・正義を、赤は自由のために流された血と勇気をあらわします。そして、紋章の背景にある青は平和や民主主義の象徴だそうです。
渡航以前は、この国旗のような配色がアディス・アベバの街全体を包んでいて陽気でオープンな雰囲気の国なのかな、民族的な要素が目立つのかなと想像していました。
ですが実際は、もっと落ち着いた空気感の都市でした。

エチオピアの国全体としては、世界基準に照らすと貧困国に該当します。ところが、アディス・アベバの一部はまるで先進国のような印象を受けるビル群が立ち並びます。

コロナ以前は高い経済成長を続け、至るところで新しいビルやマンションが建てられたのだそう。
現在は成長速度が鈍化していると言われていますが、それでも、街は整備過程で掘り返された道路と、建築途中で緑の養生シートに覆われた建物だらけ。まだまだ発展していくのだろうなという可能性を感じさせます。

で、アディス・アベバを移動していると、白や灰色の建物がよく目にとまります。ガラス張りの近代建築や少し古そうなゴシック風の建造物もたくさんあるのですが、白壁やコンクリート剥き出しのビルの方が印象的でした。

白はエチオピアの伝統的な装束の基調色です。アディス・アベバで暮らす多くの若者はもうジーパンにシャツなどカジュアルな洋服で暮らしていますが、ご高齢の方は「アベシャ・リブス」と呼ばれるワンピース、「ナタラ」というショールを日常的に纏っています。重要な礼拝の日には、皆がこの白衣装で教会に集まります。
白が宗教的に重要な色だから壁にも白を多く用いているのか、コンクリートに簡易的な外壁塗装を施した経済的・効率化の結果として白なのか、それ以外のなんらかの理由があるのか。機会があれば現地の方に改めて聞いてみたいと思います。

ただ、砂埃が多いので、せっかくの白壁も全体的に黄ばんでいます。建設中の建物やガラス窓は、特にわかりやすく埃まみれ。

車が大量に通るメインストリートでさえ掘り返されて土がむき出しで柵もなく、誰もが工事現場を素通りしています。
路地裏の赤茶色のトタン屋根の旧家屋から、表通りの白壁ガラス窓のビル群へ。空を舞う砂埃の黄色が、まるで発展の過程を示すグラデーションのようです。(道を歩くときは、足元にもお気をつけて)
エチオピアで見る床に敷かれた緑の草の意味は?

エチオピアでは、レストランやホテルなど多くの場所で床に緑色の草がばら撒かれている、あるいは敷き詰められている光景を目にします。
エチオピアで緑は豊かさを示すポジティブな色で、緑を床に置くことで自然な美しさを演出するとともに、お客様をおもてなしするという意味合いがあるのだそう。

近年のアディス・アベバで外国人がよく利用するホテルや商業施設は、衛生面から、草の代わりに緑の人工芝を置くことが増えています。

ローカルのカフェや酒場(アズマリベット)などは、まだ天然の草が床中に広がっています。週末に特別な礼拝がある日は、教会で草を買って自宅に持ち帰って使用するんだと、現地の方が話していました。

エチオピアの伝統的なコーヒーの抽出と提供(後述)においては、緑の草(あるいは人工芝)の上にカップを並べた台を置いています。この写真も実際にそうですよね。(宿泊したホテルのレストラン内にて)
エチオピアの床の草は、歓迎と好意のあらわれです。
エチオピアのコーヒー文化とコーヒーセレモニーの色彩
既出のとおり、エチオピアはコーヒー発祥の国と言われています。田舎に行くとコーヒーノキが自生していますし、大小様々な農園がコーヒー豆を栽培し、世界に出荷しています。

エチオピアのコーヒー豆の生産量は、2023年時点でブラジル、ベトナム、インドネシア、コロンビアに次ぐ世界5位(ブラジルがダントツ1位)です。
ただ、この上位4カ国は歴史の厚みでエチオピアには到底敵いません。ブラジル、インドネシア、コロンビアでコーヒー生産が始まったのは1700年前後。欧州列強が木を持ち込んだことがきっかけであり、ベトナムは1800年代の開始です。一方、エチオピアの森では60万年以上前からコーヒーノキが生えていたと遺伝子分析によって証明されました。

エチオピアには、コーヒーが重要視されるようになった一つの伝説が残されています。9世紀頃、ヤギ飼いのカルディという少年が、放牧中のヤギが低木に成っていた赤い実を食べて元気になっていることに気づきました。自身もその実を食べると元気になったので、この話を修道院に伝えました。修道士たちも試したところ、夜中の眠気を覚ましてご祈祷ができるようになりました。その後、実を火で炙った際の香りがきっかけでコーヒーを淹れるという行為が生まれ、次第に「魔法の薬」として珍重されるようになった、といいます。

そんな伝説も語り継がれるエチオピアでは、「ジャバナ」という素焼きの黒いポットで煮出して抽出する「ブンナ・コーヒー」が伝統的な飲み方です。このジャバナ・ブンナは、アディス・アベバのカフェでも露店でも飲めます。
エチオピアでは、コーヒーが単なる嗜好品ではなくお客様をおもてなしする儀式にも使われてきました。コーヒーセレモニーと呼ばれるその儀式について簡単にご紹介しますと、緑の草の上に台を置いてカップを並べ、そばで乳香というお香を焚き、女性が、豆の焙煎からその場でおこないます。

焼けた豆の香りを嗅いだら、ジャバナで煮出し、小さなカップに注いで3杯いただきます。3杯にはそれぞれ名前がついていて、1杯目は「アボル(Abol)」といい、健康を祈るために飲みます。2杯目は「トナ(Tona)」と言って愛や友情のため、3杯目は「ベレカ(Bereka)」で、神の祝福のための一杯です。味は濃いめで、砂糖や塩を入れて飲むこともあります。
時間をかけてゆっくり3杯を飲み、その間にホスト側と客側、あるいは家族同士で会話をし、絆を深めます。

この様式そのものがエチオピアの文化を象徴する"色"。視覚的には、独特の匂いを放つ乳香の白い煙と、ツヤのない黒いジャバナのコントラストがコーヒーセレモニーの伝統的な色彩と言えそうです。
現地を訪れたら、ぜひ体験してみてくださいね。
【オマケ】エチオピア/シダマは青の街!?
私は2025年某日にエチオピアを訪れました。そのとき、最初に滞在したのはアディス・アベバではなく飛行機で内陸に1時間ほど飛んだところにあるシダマ州アワッサです。

シダマでもっとも印象的だった色は青でした。タクシー、看板、家の壁にも青がふんだんに使われ、爽やかな雰囲気を作りだしています。

現地の人に「なぜこんなに何でも青いの?」と質問しましたが、知らないとのこと。もしかすると、シダマの豊かな自然の青緑や、抜けるようなスカイブルーの空の色が、この地に生きる人々の心に特別な想いを抱かせるようになっていったのかもしれません。

実際、シダマの州旗の中央にも青が用いられていますし、シダマ産のコーヒーにも"ブルー"という呼称や名称がよく用いられます。

3日ほど豊富な青に触れてからアディス・アベバに移動し、「首都でも青が多用されているのかな」と想像していたのですが、そうでもなかったので意外でした。昔のアディスのタクシーは青い車体だったらしいですが、いまは国際基準にあわせて鮮やかな黄色に塗り変えられたそうです(現地の方々が使う、小さな乗り合いのバスはまだ青い塗装です)

強いて言えば、既述のとおりアディスのビルの外壁は白やグレーが多いものの、ガラス窓が空を反射して青や青緑に輝いています。
路地には青い壁の家もあったので、発展のなかで青く塗るという行為は減っても、結果的に視界を占める主調色は青のまま。

青は、シダマに限らずエチオピアを象徴する色と言えるかもしれません。
エチオピア/アディス・アベバの色彩まとめ
日本からエチオピアへは、関東だと成田から直行便があります。関西からは、韓国のインチョンで乗り換えてそこから一本でアディス・アベバまで行けます。距離は離れているものの、意外とアクセスが良いことに驚きました。

アディス・アベバは想像以上に都会でした。車も多い。でも、インドのようなクラクションが鳴り止む瞬間がない騒音だらけのカオス世界ではなく、むしろ静か。日本ほどではないものの、交通事情にはマナーと協調性を感じました。
ガラス張りのビル群の横から路地に入ると古いトタン屋根の家屋が並ぶ、といった発展のコントラストが大きくて、まだまだこれからという印象を感じます。おそらく、整備が進めば他の国でも見るような無機質な都市の風景になっていくでしょう。

ですが、小さなカフェや道端で提供されるジャバナで煮出した現地の伝統スタイルのコーヒーがあるかぎり、そこにエチオピアならではの光景と色彩が残りそう。
人々はみな優しく穏やかです。田舎は外国人が珍しいのと貧困という事情もあって、大勢の人が集まってきます。一方、アディス・アベバでは路地裏を歩かないかぎりそんなことはありません。
安全や衛生や経済に関してはまた別の話になるので省略しますが、エチオピアは緑に歓迎され、黒褐色のコーヒーと共に親交を深め、清々しい青空のような気持ちになれる素敵な国でした。