皆さんこんにちは。イロノコトを運営しているノアヲです。
前回「色は何種類あるの?」という記事を公開してから、しばらく月日が経ってしまいました。
本記事のテーマに入る前にまず御礼申し上げます。わずかな記事しかないサイトにも関わらず、ご訪問くださった皆様ありがとうございました。また、時に「参考になった」とメッセージを頂戴し、とても嬉しかったです。
下書き状態の記事のストックがずいぶん貯まりましたから、これからまた少しずつアップしていきます。
色に関心をお持ちでしたら、引き続きお付き合いくださると嬉しいです。
今回の記事は、色の知識や雑学の情報ではなく
「色を味わう」
という視点から、オリジナルのカラーエクササイズをご紹介することにしました。
道具はなにも使いません。大人も小さなお子さんも日々のなかで楽しめる軽いゲームなので、読んでお気に召しましたらこのあと試してみてください。
色を味わうカラーエクササイズ
そもそもカラーエクササイズ(Color Exercise)とは何かを簡単にご説明します。
これは私が勝手に作った言葉です。
エクササイズは運動とか体操という意味で、カラーエクササイズは直訳すれば「色の体操」となります。
濃い色の背景画面にほんの少し薄い同系色で文字や絵が描かれていて、それが何かを答える「色覚クイズ/色覚テスト」というものをご存知でしょうか。
こんなのです。(答えはページ最下部に掲載)
ほかには、一枚の画像のなかに何色あるかを数えてみるというクイズもありますね。
何色でしたか?(このグラデーションの各色は境界線がないため、数は人それぞれです)
このようなクイズの主旨である「色を見分ける」「色を数える」ということを、特別な画像や道具を使わずに普段の暮らしのなかでやってみましょうというのが、私のご提案するカラーエクササイズです。
私は、グループによる色彩ワークショップも不定期に開催しています。
そこで実施しているいくつかのカラーエクササイズのうち、今回は2つをピックアップしました。
数えてみよう!「色いくつ」
1つ目は、「色いくつ」と命名したカラーエクササイズです。
「色いくつ」は極めてシンプルかつ簡単。
いま、目の前の視界にいくつ色があるかを数えるだけ。
30秒や1分間など、制限時間を決めて挑戦します。
運転中や歩行中などは危ないので控えてください。それ以外、環境、時間、場所は問いません。
例えばカフェでお茶しているとき、部屋でくつろいでいるとき、きれいな景色を見ているとき、など自由です。
いまカフェにいて、目の前がこういう環境ならどうでしょう。
フロアやテーブルの茶、壁や椅子の白、観葉植物の緑、テーブルの足の黒、テーブル上のディフューザーのオイルのオレンジがかった茶、窓のサッシのシルバー、窓の外のビルのグレイやアイボリー……など、たくさんの色が見つかりますね。
では、このランチにはいくつ色があるでしょうか?
あるいは、このページを読んでいる今、スマホから顔を上げた景色には?もしくはパソコンの画面のまわりには?
空間の色、照明の色、モノの色、人が着ている服の色、いくつありますか?
赤、青、緑、黄、橙、紫、茶、白、黒と、おおまかに分けたり、朱色、ターコイズ、深緑、レモンイエローなど、思いつく名前を当てはめてもOKです。
自宅のモノが多い部屋だと、結構やり甲斐があると思いますよ(笑)
同じ系統の色でも、少し違うと感じたものはどんどんカウントしましょう。
首を上下左右に動かすと見える範囲が広がってしまうため、ひとつの方向に顔を向けて、目を動かせる範囲でチャレンジしてみてください。
「色いくつ」という名前ですが、数は重要ではありません。目の前にどんな色が溢れているのか、再確認・再発見・気づくことが目的です。
集中して短い時間で取り組むことで、普段は無意識でながめている自分の視界そのものに意識の焦点を当てることになります。
表現を変えると、「見ているものを観る」とでも言いましょうか。
数人のグループ(例えば、学校なら生徒さんたち)で一緒にやってみると、それぞれの違いが発見できて楽しいかもしれません。
カラーエクササイズ「色いくつ」
- 制限時間:30秒または1分
- 内容:目の前の色を数える(数は重要ではありません)
- 主旨:どんな色があるかを発見すること
このエクササイズから得られるメリットは、あとからご説明しますね。
本当にひとつだけ?「色みつめ」
2つ目は「色みつめ」というカラーエクサイズです。
「色いくつ」は視界の色を数えるというものでしたが、「色みつめ」は、1つの対象をじっくり見て、濃淡や色味の違いを発見するエクササイズです。
「色いくつ」の時間の目安は30秒〜1分間でした。一方、「色みつめ」は3分ほど時間をとって、よく観察してみることをオススメします。
対象はなんでも構いません。
「色いくつ」の挑戦後に気になったものや、パッと目にとまったもので試してみてください。
例えば上のりんごならどうでしょうか。
光が当たった左上のほうと、地面に接している影のところは全然違う色をしていますよね。
中央の光沢があるところ、右側のすこし暗い部分、傷が入っている箇所、斑点、すべて異なります。
何も考えなければ、赤色と一言で片付けるかもしれません。しかし、よくみると光の具合によって複雑な表情を持っていることに気づかされます。
「色いくつ」で触れたカフェ空間も、観葉植物の葉はひとつの緑色ではないですよね。
奥にある、丸い葉の植物(フィカス)の葉は、生き生きとした濃いところ、やや枯れて黄ばんだ部位、光があたって薄くなった箇所、重なって暗い部分、葉脈、それぞれ違う色をしています。
手前の尖った葉(ユッカ)も、明暗の違いがありますよね。フロアの木目にも茶の濃淡があり、テーブルには影も。
今度は、ご自身の手をみてください。
観察すればするほど、「肌色」と、ひと言では表現できない繊細な色の違いが見つかると思います。
制限時間いっぱいまで、色の差を存分にご堪能ください。
カラーエクササイズ「色みつめ」
- 制限時間:3分程度
- 内容:対象物を決めて、色をじっくり観察
- 主旨:濃淡・明暗などの差を発見する
カラーエクササイズのメリット
さて、この「色いくつ」や「色みつめ」と題したカラーエクササイズには、どんな効果やメリットがあるのかということをお話しします。
注意力を養う
「色いくつ」は注意力アップのための脳トレに近いです。
時間を制限することによって、おのずと集中します。色を見つけて数えている最中、「まわりに何があるのか、どのような形か、動いているか止まっているか」などの情報も同時に入ってきます。
そのため、何も考えずに漠然と眺めているときに比べて、ほどよい頭の刺激が感じられると思います。
自分の部屋や職場なら、毎日見ているはずのなのに見過ごしていたものを再発見できるかもしれません。
さらに、「視界のなかで、何色にもっとも関心が向くか?」も意識しながら取り組むと、そこにもまた違った気づきがありそうです。
部屋の小物を変えるだけで、なんとなく気分が良くなるということもありますから。
色の弁別力を鍛える
「色みつめ」は、色を見分ける力(弁別力:べんべつりょく)を鍛えます。
この力を鍛えると、色の微妙な変化を感じやすくなり、そこから生じる意味への理解を助けます。
例えば、食べ物の鮮度を見分けるとき。熟しているか腐っているかは、見た目の色と具合からも判断しますよね。
顔色・体調や、天候の変化もそうです。特に自然にまつわることは、色の変化から理解していることがたくさんあります。
美的感覚も磨かれるでしょう。
日の出や夕日などに生じる色のグラデーションを綺麗だと感じたり、絵画の色づかいに見惚れたり。
これらの状況は、まさにあなたが持っている色の弁別力が、感動をもたらしています。
つまり、色をよく見ることは、毎日に発見が増えて、より心を動かすことにもつながるわけです。
色を味わう=「いのち」を味わうこと
これらのカラーエクササイズは、注意力アップや弁別力アップなどの実際的な効用のほか、精神にも良い影響を与えるのではないかと、私は考えています。
最後は少し、スピリチュアルな視点からの仮説です。
「色とは何か?」の記事でも触れているように、色とは、光と目と対象物の3つが織りなす刺激です。
そこに、過去の体験や記憶などの補正が加わり、脳内で知覚されます。
よって厳密には、あなたと同じように見ることができる人は、この世界に誰一人として存在しません。
その唯一無二の体験を味わってほしいと、「色とは何か?」の記事でお伝えしました。
その補足と言いましょうか、色を見るという行為を意識的に繰り返していくと、さまざまな固定観念を洗い流して軽やかに生きる手助けになるのではないか、と考えるようになりました。
私たちは"思垢"まみれ
現代を生きる私たちは、
「人の目線」
「世間の常識」
「過去の後悔」
「未来の不安」
「親の言うこと」
「子への期待と心配」
「著名人の発言」
「自己洗脳」
そのほか、解釈・偏見・物語・見通し・意見・情報など数多くの思考よって、頭のなかがパンパンになりがちです。
「人に認められたい」「あの人にこう思われたい」「いいねが欲しい」という承認欲求。
「自分はダメだ」「自分は凄い」などの自己否定あるいは慢心。
「本当はやりたくないけれど、変に思われたくないから合わせる」「平均からはみ出したくない」との自己欺瞞や無難な選択。
「あの人は間違っている」「自分は正しい」のような正解と不正解の決めつけ。
「あの失敗が忘れられない」「将来どうしよう……」といった人生に対する憂い。
少しは心当たりがないでしょうか。
お金や人間関係の悩みも尽きません。
こういった想いが湧いてしまうのは、生きていれば少しは仕方がないですよね。人間だもの。
ところが、インターネットやSNSの普及によって、それが個人の話ではなくなってしまいました。
一人一人が抱えている葛藤がネットで拡散・共有されるようになり、肥大化し、今では社会全体を覆う、ある種の呪いのように浸透しています。
この状態は、新型コロナのパンデミックによって加速したようにも感じられます。
人々がますます不安におちいり、自宅にこもってネットに触れる時間が増えましたから。
思考を寄せ集めて作った共通認識と観念。それは、やがて頭にこびりついて取れない汚れ、垢となる。
私は、それを"思垢(しこう)"と呼んでいます。
単なる言葉遊びのようですが、思垢はまさしくガンコな汚れ。しかも、溜まっていることに気づきにくい。
程度の差はあれ、同じ社会のなかで生きている人々はみんな少なからず溜めていますから。
思垢が溜まると、反比例して感覚が鈍っていきます。さらに、感覚をないがしろにするほど、ますます堆積します。
負のスパイラルのできあがりです。
パソコンやスマホに例えたら、不要なデータが溜まりすぎて、動作が重たくなっている状態に近い。
「何かがおかしい」
自分自身、周囲、そして社会について。もしも、ほんの少しでも得体の知れない息苦しさを感じるなら。
カラーエクササイズは、思垢掃除の役に立つかも知れません。
思考と感覚のバランスをとる
私たちの身体にもともと備わっている機能は、思考(考えること)と感覚(感じること)のどちらでしょうか?
目(見る)、耳(聞く)、鼻(嗅ぐ)、肌(触る)、舌(味わう)、これらの器官と感覚は、先天的なものですよね。成長とともに発達はしますが、各部位は生まれたときから身体にあります。
反対に思考は、生まれた環境・社会・文化・教育のなかで、触れてきた情報によって出来上がる後天的な能力です。
つまり、私たち人間は本来、感覚器官で感じることが土台にあり、思考はあくまで副産物とも言えます。
考える能力のおかげで社会や文化が発展してきたのは間違いありません。
だからといって、思考の寄せ集めによる観念が、個人の正常な感覚の邪魔をするのは、本末転倒・主従逆転というもの。
頭で考えてばかりで、解釈に解釈を重ねて、見当違いの思い込みをして、心が苦しんでいることに気づかない。
あるいは、感覚では分かっているのに、思考が邪魔をして動けない。
この感じ、何となくイメージできますか?
この状態から抜け出すのに有効なのが、意識して感覚優位に立ちかえることです。
言い換えると、自分の身体の感覚を味わうこと。
見ているものを観る、音に耳を澄ませる、香りをしっかり嗅ぐ、手触りを確かめる、食事をよく味わう、身体の動きを認識する、など、どの感覚でも構いません。
その瞬間に生じている感覚と反応に、意識を集中します。
そこで、カラーエクササイズの登場です。(通販みたいですいません)
色を探す、色を見つめる。
効果や見返りを期待せず、ただ色を見てください。
頭のなかを渦巻いている観念や思垢の多くは、極端な話、他者がもたらした刷り込みです。あるいは自分で刷り込んだフィクションです。
身体が長年触れてきた情報、その情報に解釈のラベルをペタペタ貼り付けていき、いつのまにか整理もコントロールもできなくなった状態です。
その暴走は、急激には止まりません。こびりついた汚れが、ゴシゴシやっても取れないのと同じです。
荒療治は望まず、静かに、身体がいま感じていることに意識を向けます。
目の前の色を感じることは、瞬間的、かつ極めて個人的な体験です。他者はどこにも介入できない。
この世にたった一人しかいないあなた。そのあなたの感覚は、あなたにしか味わえない、何よりも大切なもの。
その無二の体験をしっかりと味わうことは、こびりついた思垢への洗剤のように作用します。
やがて、「あれ、なんか変だぞ」と客観視できるようになればしめたもの。
油汚れが浮いてきて、洗い流しやすくなる(=気にしなくなる)ようになり、振り回される度合いが減っていきます。
しばらくは、「そんなことをしている暇はないよ」「そんなことをして何になるんだ」と、観念が追いかけてくるでしょう。
ですが、淡々と色を見て、感じていてください。
視界の色を探したり、自分が綺麗だと思うものや、景色の色を眺めていてください。
そうしているうちに、シーソーがバランスを取るように、思考優位の状態が少しずつ落ち着いて、感覚が立ち上がってきます。
すると同時に、不要なデータが消えて容量が空き、サクサク動くパソコンのように思考を正しく活用できる状態に戻っていくでしょう。
あなたは、あなたが思っている以上に…
言語化が難しく、私の表現力ではこれ以上掘り下げることができません。何やら説法くさい話になってしまって嫌なので締めますね。
ここでお伝えしたいのは、「あなたは、あなたが思っている以上に尊い」ということです。
いまこのページを読んでくださっているあなたが、どこのどんな人なのか、私はまったく分かりません。
性別も年齢も国籍も信条も。
それでも、これだけは断言できます。
あなたは、あなたが知っているあなた自身よりも、特別な存在です。
「あなたが知っているあなた」と表現したのは、「あなたが知っているあなた」には、すでに「自分はこういう人間だ」という自己像の思い込みや解釈・思垢が含まれているため。
その自己イメージより、遥かに特別です。
そんなことを、いきなりどこの誰だかわからない人から言われてもピンときませんよね。
だから、適当に流していただいて結構です。このページの内容も、読み終えたら忘れてください。主観たっぷりの単なる仮説ですから。
色を味わう(身体の感覚を意識する)ことは、手軽にできる思垢のデトックス。あたまのなかを掃除すると、自分がしまい込んでいる感性や能力が発揮されるのではないか。
そんな、祈りのようなものです。
私自身、ずいぶん長いあいだ思垢にまみれていました。
家庭環境へのひねくれた解釈、過去の失敗への後悔や未来の不安を混ぜて「自分はこうだ」と物語を作り、アイデンティティを保つことに必死でした。
人を傷つけたり、傷つけられたと感じ、まさにこのページの途中で書いてきた気持ちは実体験として味わってきました。
そういった苦しさからどうすれば逃れることができるのかと悩んで、たくさん本を読んだり、ワークを実践したり、仕事に没頭したり、趣味を作ったり、いろいろ試しました。
そのどれもが、一時的な逃避か、新たな思い込みの上書きでしかなかった。
仕事にも、自分の状態にも疲れ果てて、近所の森林公園のベンチで休む時間を取るようにしました(重症ですね)
ある初夏の日、いつもどおりベンチに座って目の前の木や葉の緑を見ながらボーッとしているとき、何かが「パン」とはがれた感覚がありました。
途中の表現をするなら、洗剤が垂らされて汚れが浮いたような感じです。
その瞬間に、目の前に広がる新緑の濃淡、グラデーション、光との調和による美しさにハッとさせられました。
この体験は今でも忘れられません。
そこから、感覚の大切さを再認識し、色への向き合い方が変わりました。
カラーエクササイズを作ったのもその一環です。ご紹介した2つのエクササイズがもたらす作用は、おそらく瞑想に近いものだと思います。
ただ、瞑想と言うと仰々しい感じがするため、日常のなかで誰でも手軽にできる形ものを考えました。
私もまだまだ思垢を溜めがちなので、カラーエクササイズで定期的にデトックスを心がけています。
そうしていると、「すぐにどうにかしなければ!」と考えている問題さえも、なぜか自然と解決していくから不思議なものです。
こういった自分の体験に基づく内観的なテーマでしたので、いま何か息苦しさを感じる人の参考になればと思って、最初にこれを書いてみました。
ここまで読んだくださったあなたは、おそらくとても繊細で、変人です(笑)
ですが、私はそんな繊細な変人が大好きです。
この内容に何かしら共感できるなら、あなたは間違いなく「あなたが思っている以上に尊い」はず。
最近の世の中は、「十人十色」から、観念の脅迫によって「十人一色」の世界に近づいている気がします。あるいは、「十人十色」の十色が、互いの主義主張を争って混ざり、くすんだ色になっているような。
各色がパレットに適切な距離感で並び、互いの色をリスペクトしていきたいですね。
観念が吹き荒れている今こそ、ご自身の感覚を大事にしてください。
色を味わい、思垢を洗う。自分の感性を大事にする。そうすれば、良い意味で人への依存や興味は薄れ、それぞれの感性をもっと尊重できるようになるのではないでしょうか。
そうして、「自らのいのちをめいっぱい味わう変人たち」がたくさん増えていけば、世の中さらに楽しくなるんじゃないかなという期待とともに、このページを終えます。
こんな主張全開ではない、普通の色彩心理の話やトピックも今後また書いていきます。
カラーエクササイズも、気軽な感じでお楽しみください。
色に関心をお持ちの方は、引き続きお付き合いいただけますと幸いです^^
読んでいただきありがとうございました。
(赤い色覚クイズの答えは"いろのこと")